- 城下町高遠の酒蔵
- 地域経済の
発展とともに - 戦中・戦後の発展。
酒蔵「仙醸」へ - 新工場の建設。
麹造りの技術を高め、未来へ
ブランドストーリーBRAND STORY
戦中・戦後の発展。酒蔵「仙醸」へ
昭和に入ると金融恐慌や戦争など不穏な時代に入ります。その真っ只中の1929年9月27日に、太松酒造店は町内のもう一社と合併し「高遠酒造株式会社」として会社設立しました。3代目の黒河内義夫は戦時中、高遠町長を務めますが、その任期中に高遠を訪れたのが文豪、田山花袋でした。
「たかとほは山裾のまち古きまち、ゆきあふ子等のうつくしきまち」という花袋の句碑は西高遠の当社本社に今も立っています。
戦後は人口増加と地域経済の発展により、ふたたび成長期に入ります。三峰川上流に建設された美和ダムの工事は大規模なものでした。
また、中央自動車道の建設も地域経済に大きな効果をもたらしました。1973年10月1日には社名を株式会社仙醸に変更。当時お酒の製造は2種類のみ。
二級酒の仙醸に対して、一級酒の黒松仙醸は包装紙で巻いた姿。贈答用としても重宝され上伊那地域のみならず、下伊那地域、長野、松本など北信地域でもよく知られるブランドとなりました。
仙醸については南アルプスの仙丈ヶ岳、黒松は黒河内松治郎の名前に由来します。松をあしらったイラストは絵画に造詣の深かった4代目社長の黒河内太郎が自ら筆を執って描いたものです。
酒造りもこの時期大きく進歩します。東京農業大学や長野市の醸造試験場を経験した伊藤工場長が中心となり、1970年代以降生産管理、工場管理のレベルアップを実現。品質と労働環境の改善に努めました。
1965年には第7回関東信越国税局酒類鑑評会において首席を受賞しています。
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